臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

続昆明記 14

大理・三塔、喜州

まず、歩いても行ける距離の三塔を目指す。
小母さんの客引きが、
「馬車に乗らないか」
と寄って来た。
北門を潜ると馬車が並んで居る。



例によって値切った馬車が、コトコトと走り出した。



前記の様に、大理は山から湖への傾斜地に有るので、坂だらけだ。
古い土塀を掻き分ける様に坂を登って少し北へ走ると三塔の正面だ。

前回来た時は何処が三塔の入れ口かが判らない位、ひっそりしていたが、
酷い変わり様だ、門前が喧騒の巷と化した。





名物の大理石の加工品を売る店が広場の片端を埋め尽くす。
三塔も真新しく塗り替えられて風流どころではない。

三塔へ入るのを避けて、少し戻り、三塔の見所と聞いている「三塔倒影公園」
へ向うと、さっきの馬車の御者が飛んで来た。
「三塔の入れ口はあっちだ」
と後ろを指差す。
「公園へ行くんだ」
と言うと、申し訳なさそうに頷いた。
来た道を三分の一ほど後戻りする。

「三塔倒影公園」の客は私一人、門番は三人居る。
名前の通り、池面に美しい影をゆったりと落とす三塔を眺めながら







直径が100m程の池をゆっくりと一回りする。
茶屋も開業休店だ。

公園を出ると、さっきの御者が待っている。
「何処へ行くんだ、近くに良い所が有るから案内する」
「喜州へ行きたいんだ」
「もっと、良い所が有るよ」
「いや、喜州だ」
「よし、行ってやる」
喜州までは20km程有り馬車では時間が掛かりすぎる。
「いや、バスで行くからいい」
暫く、熱心に付いて来たが、振り向き振り向き、帰って行った。
大理古城近くの見所は、歩くのには一寸距離が有り、馬車が丁度良く、
一旦、馬車を使うとそのまま幾つか廻るのが自然なのだろう。

山側から湖側に少し傾斜が有りそうな道をミニバスは猛烈なスピードで走る。
左に聳える山脈、右に広がる湖、仲々に見ごたえのある車窓の風景なのだが...
時々、ひっそりと佇む村落を通り抜ける。

続昆明記 13


大理での大失態

フビライによって攻め落とされるまで、500年間に渡り雲南の中心地として栄えた大理、
8.9世紀頃の地図を見ると、大理国は、ほぼ、日本の同程度の面積がある。
4000m級の山々に囲まれた耳の形をした「ジ(サンズイに耳)海」と言う大湖は大理市の17%を占める。
その4000m級の山々から「ジ海」に落ち込むなだらかな斜面に人々が棲み付いている。
標高2000m弱、夏の平均気温は20度前後、真冬の平均気温が9度前後、まさに別天地だ。
昆明からトイレ付きの豪華バスで5時間、何年か前までは10時間以上か掛かったと聞く。

このバスを降りる時に大失態をやらかした。
ガチャンと大きな音がした時は目の前が暗くなった。
カメラをコンクリート路上へ落としてしまったのだ。
案の定、スイッチを入れてもエラー標示がパチパチと点灯している。
今回は、大理を手始めに、剣川、石鼓、麗江とゆっくり廻るつもりだし、カメラは不可欠だ。

とりあえず、所知ったる日本食堂でビールを飲みながら今後の方策を練る。
使い捨てカメラに頼るしかないだろう。
食堂の小母さんが紹介の宿に荷物を置いて直ぐ街に出る。
直ぐ目の前にカメラ屋があった。 ぶっきら棒な親父が使い捨てカメラを並べる。
中国滞在はまだ一ヶ月近くある、使い捨てカメラでは思うように写真が撮れないだろうし、
いっそのこと、カメラを買ってしまおうか、どうしたものか迷う。

ふっと尋ねてみた。
「カメラ、直せるかなー?」
「直せるよ」
「デジカメだよ?」
「持ってきてみな」
急いで宿にとって返す。
親父は、危なっかしい手付きでデジカメを縦にしたり横にしたりして眺めまわす。
「一時間したら、また、来てみな、直せるかどうか調べるから」

大理古城は古い城壁で囲われ、北門から南門へ南北へ一直線に古い町並みが続く。
その町並みも様相が変わりつつある、道幅も以前の倍位に広がり、所々に新しい
家が増え以前の面影を失いつつある。



文字通り草生した古い瓦屋根を取り除く作業が
あいこちで進行している。



何軒かのカメラ屋を物色する。やはり小型カメラを買う事にしよう、と決める。
一寸、横道に入ると、西洋風の食堂や土産物店が軒を連ねる。





此処の名物は藍染めの絞りだ。
ビールを飲みながら通行人を観察する。
大理は白族のエリア、人口の65%を占める。
民族衣装を纏っているのは大体が中老人だ。







店に戻ると、親父が難しい顔で、
「直るかもしれない」
当然、駄目を予想していたので、半信半疑だ。
それに、あちこち弄られて修理不能にされてしまったら元も子もない。
しかし、落とした時の音の大きさを思い浮かべると、日本へ戻ってからも修理出来ると言う保証はない。
「修理代は幾ら?」
「800元」
今回は現金を余り持参していない、まあ、カードが有るから何とかなるわィ、
「500元でどう?」
結局、
「もし直ったら600元、直らなかったら20元」
で落ち着く。
「明日の夕方まで掛かる」を「明朝9時まで」に納得してもらう。
「今夜は徹夜だ」
と言ったような気がした。

翌朝9時、店に誰も居ない、大きな声を出すと奥のほうから親父が出て来た。
眼を擦りながら、ニコッとして、
「出来たよ」
まさか、と疑う私の面前で、おもむろに鍵の掛かった引出しからカメラを取り出した。
操作してみるとホントに直ってる、思わず親父に抱きついた。
「俺は上海で20年も修行したんだ」
親父も嬉しそうだ、難しい顔がこれ以上なく崩れた。



その後、カメラは順調に動いているが、未だ持って不思議の念が去らない。
雲南の片田舎、それも、普通のカメラ屋の親父がデジカメを直したのだ。

続々昆明記12−1

水掛祭り

新年節の最終日、いよいよ水掛祭りが始まる。
パンフレットには正午開始とあったが、
窓から見ていると、朝から水の掛け合いが始まっている。]



居ながらにして窓から祭りが全貌できるホテルに陣取っている。
昆明に来る度にお世話になっている邱さんが気を利かしてくれたのだ。

正午、象を先頭に行列が始まる。



周辺の少数民族がそれぞれの衣装を凝らして、次々に隊列を組む。

     

長い長い行列が通り過ぎると人並みがメコンの川岸を目指す。
メコンの河川敷に数え切れないほどの出店が並ぶ。

 

 

一番広い場所を取っているのが遊園地、
広場の一角の路上に沢山の品物が転がっている、と見ると、
転がっているのでは無く無作為に並べられているのだ。
客が自転車のタイヤのような物を、その品物の方向のクルクルと投げ出す。

 

そのタイヤがコロリと止った時にそのタイヤの中に何か品物が入ればそれが頂ける。
そんなゲームだ、暫く見ていたが、成功する物は殆ど無い。
タイヤが外まで転がっていってしまったり、品物の角にのっかってしまったり、
仲々、一つの品物がスッポリと輪の中に納まることは無い。
大の大人が懲りずに何回も何回も挑戦している。
一回1元で上手くいけば100元位の物が取れるので皆真剣そのものだ。
一角では闘鶏、

 



川辺では豪快な花火が打ち上げられる。

続々昆明記11 西双版納 タイ族女性の髪飾り

水掛祭りの期間中、近郊から西双版納、
正確に言うと、西双版納の中心である景洪へ、人が押し寄せる。
とりわけ、曼听公園へ人が集まる。
誰も彼もが取って置きのお洒落をし、新年を祝う。



公園の中心に立派な仏教寺院がある、
ここも彼等の信仰の中心の一つなのだろう。

突如、天空からゴーッと音がして、



ロープにつかまった勇敢な女の子が湖水の上を通り過ぎる。

木陰に腰を下ろす。
焼き魚にビールはこたえられない。



普通、中国では焼いて食べる習慣は少ないが此処雲南では普通の事、
雲南の十八怪(○○の7不思議のようなもの)の一つだ。
どのテーブルも宴たけなわ、木陰は人で埋まる。

 

 


それぞれに着飾った女達、趣向を凝らした髪飾りが面白い。

 

 

 

 

 

 

日本の正月に日本髪を結うように、水掛祭り期間だけの髪型のようだ。
一様に活きた花を括り付けて、銀色の飾りをあしらった物が多い。

「花腰タイ族の館」と言うのが目に付いた。
花腰族の衣装を纏った若い女性達が満面に笑顔を浮かべて並んで居る。

 

一人の女性が何かマイクを持って説明しているが内容は判らない。
何人か集まると、女性達が客に首飾りのような物を掛け、
「どうぞ二階へ」
と招き入れる、野次馬根性を出して付き従ってみた。
二階に上がると、客一人に一人の女性が付きっ切りになる。



されるままにしていると、どうやら擬似合同結婚式らしい。
三々九度のようにお酒を飲み交わす振りをさせられ、
指に花の指輪を嵌めてくれたり、儀式が進行する。
不思議な物で、一時、崇高な気分に襲われる。

最後に別室に案内される、そこには幾つか小部屋が仕切られており、
カーテンで覆われている。
女性がカーテンを開く、そこには粗末な布団が二つ並べられている。
カーテンを閉めると、女性が私の目をじっと見つめておもむろに言う。



「これでめでたく結婚式が終わりました、
あなたは私にお祝いを下さなければなりません」
ゲッゲッ! 崇高な気分が飛び散る、慌てて尋ねる、
「幾ら?」
「幾らでも良いです、がァー、普通、100元です」
50元渡して、ほうほうの体で階段を下りる。
少し離れて様子を見ていると、また、同じ事を繰り返している。
二階に上がるのが、みな、男性だけだと、やっと、気が付いた。

子供の頃、お祭りの出店で何度インチキに遭ったことか、
生まれつきの野次馬根性がこびり付いている。
この程度で収まったから可愛いいものだが、
野次馬根性が昂じると破滅しかねない。

つづく

続々昆明記10

西双版納のジノー族

午前中、私は授業、その間Bは専ら美味い物を求めて辺りを彷徨している。
午後、合流して一緒に食事をするのだが、彼は肉食、それもゲテモノばかり、
そんなゲテモノをツマミにビールを飲むのも慣れて来た。
そんな日が幾日か続いて、彼は麗江へ出掛けて行った。

折から、西双版納では、雲南でも屈指のイヴェント、
水を敬うタイ族を中心にした水掛け祭りが間近い。
今年はタイ暦の1364年、そして、この時期はタイ暦の新年に当たる。
タイ族の善男男女が神に祈り、
神からの授かり物である水をお互いに掛け合い祝福し合うのだ。

何回か来ている雲南だが、まだ水掛け祭りは観てない。
こんな機会は滅多に無い、涙を呑んで一週間学校を休み、
Bと西双版納で落ち合う事とする。

昆明から南へやく500km、30分ほどで、西双版納の中心、
景洪市、海抜1800mの昆明から海抜200mか300m?の西双版納、
飛行場から外に出ただけで我慢ならない蒸し暑さだ。
ラオス、ミャンマーとの国境は直ぐ其処だ。

お祭り一色に塗りつぶされた街、宿の女の子の笑顔の出迎えが嬉しい。

 

「旅の目的はまず喰う事」と豪語するBらしく、たったの一日の先行で、
既に、何軒かの食べ所を見つけてあるのには恐れ入る。
何軒かの詳細のリストの中から、
「何が喰いたい?」
から始まる。



タクシーをチャーターしてジノー族の村落を訪ねた。
ジノー族は、諸葛孔明雲南遠征の際の蜀兵の末裔が此処に棲み残ったとされている。
 

ジノー山と呼ばれる丘陵に竹製の家屋が点々とへばりついている。
 

長閑だ。

たまに行き交う女達の背負うジノー族独特の背負い袋が印象的だ。

 

一軒の民家に入り込んでみる、食事の最中、
「食事済んだか、食べて行け」
と声が掛かる。 壁の立て板の隙間から外光が洩れて来る。
壁に掛かっている例の背負い袋を見つけて、
「あれを譲ってくれないか」
「これは内の者が使う物で売り物ではない」
何とか交渉して譲って貰う。
「これはその辺で売ってるものと違って完全な手作りなので、25年は使えるぞ」

成る程、至極丈夫そうだ。

雲南の少数民族の中でも低開発民族と聞いていたが、
若い女性の身なりは昆明の若者の姿とそう変わらない。



近くの、ジノー族の一部落が住み着く一山全体を、やや、
観光地化させた博物館のような所に立ち寄る、まだ真新しい。
入山料を払うと付いて来た若い女性がガイドさんとは気が付かなかった。



ジノー族の由来、この山の由来、民家の内部の事等々、
延々と説明してくれるが半分も理解出来ない。
山の頂上では、ジノー族の民族舞踊が披露される。

 

蜀兵の末裔らしく勇壮な踊りだ。

つづく

続々昆明記8 

九竜瀑布

近くに九龍瀑布という滝がある筈だ。
地図を広げるとそう遠くは無い。
しかし、通りへ出てもタクシーが一向に通らない。
向こうに見える街まで行けば何とかなるだろうと歩き出す。
3,40分歩いても両側は農家ばかり、街の中心が出て来ない。

時折トラックしか通らない道端に蜜蜂を並べ、
小父さんがのんびりと煙草を吹かしている。
「この蜜蜂、幾ら?」
話掛けてみた。
「30元、今日は客が少ないから安くしておくよ、
一寸舐めてみな、美味いぞう」
舐めてみたが、美味しいかどうか判らない。
元々、甘い物には興味が無い。
「何処から来た」
昆明
昆明辺りで売ってる蜜蜂はみんな砂糖が入ってるんだ、
ここのは此処で採れた100%純粋ものだ」
と辺りの菜の花畑を指差す。
「じゃー10元でどう?」
「いや、20元だ」
「15元」
「まあ、いいか」
ビールの中缶程の大きさ、ずっしりと重い。
「九龍瀑布へ行きたいんだけど、タクシー来ないかなぁ」
「その内にバスが来るよ」
と言ってるところへバスが来た、小父さんが手を挙げて止めてくれた。

バスは菜の花畑を抜けて谷沿いに走る。
谷を奥まると向こうに小さく滝が見え出した。

ゲートから長いアプローチ、1kmはあるだろうか、重い足を引きずる。



遠くからはそれほどに見えなかったが、近づいてみると巨大だ。
水量も多い、滝の中段の幾つかの岩が流れを複雑に変え、

 



大小様々な水条のバランスを保つ、自然の創り出す見事な景観だ。





下方の人影が豆粒如きだ。
九龍瀑布との命名も的を得ている。
売店にどっかりと座り込みビールを抱え込む。



大根を丸ごと齧っている人に何人か行き違う。



真似してみた、ほんのりと甘みが有ってさっぱりしていて珍味だ。
粽も試してみたが、まあまあだ。



つづく

続々昆明記6

羅平の菜の花畑

昆明から東方230km程の羅平、ここは菜の花の名所、
今が花盛りと聞いて行く気になった。
久し振りに、車窓からの眺めを楽しもうと汽車で行くことにする。
この辺りは、何億年前の海底が隆起した地層、
日本では余り見られない風景が続く。





最近の日本の新聞に、昆明の西方の禄豊と言うところで、
100体もの恐竜の化石が確認され、恐竜の墓場ではないかとか。

230kなら汽車で3時間位とたかをくくったが、何と、6時間、
流石にぐったりする。

駅を降りると直ぐ、
「菜の花は何処へ行けば見れるのですか」
と尋ねると、
「メイヨー、既に花はもう散ってしまったヨ」
そう言えば、「今が盛り」と聞いたのは、1,2週間前、
Sを気にしている内に、時間が経ってしまったのだ。
1,2週間前は客で一杯だったと言うホテルも道路も閑散としている。

 


翌朝、兎も角、菜の花畑へ急ぐ。
タクシーが郊外に出ると、一面に菜の花畑が広がる。
しかし、一面の緑、僅かに黄色い花が点々としている。

菜の花畑の真っ只中に私を下ろすと、
「この辺りが見所だよ」
と言い残してタクシーは街の方へ帰って行った。

頭位の背丈の菜の花をかき分けて小山に登る。










壮観だ。
黄色の世界を予想していたが、緑の世界も捨てた物ではない。
緑の香りを胸一杯に吸い込み、旅の醍醐味を吐き出す。
小山の頂で仰向けになる、時折、人声が聞こえてくる。
下界を覗き込むと、畦道をゆっくりと農民が通り過ぎると、
静寂が訪れる。

 





尾瀬は水芭蕉の季節が最も良い、と言われるが、
晩秋に訪れた尾瀬の紅葉は忘れられない。
ここも、菜の花の羅平を知っていても、
緑の羅平を知る人は少ないのではないだろうか。

つづく