臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

続昆明記26 爨宝子碑

その「爨宝子碑」の実物が見たくなった。
「爨宝子碑」は、昆明から西北へ150km程の曲靖に有る。
曲靖は雲貴高原の中部に位置し、
古来、中国中央部から雲南への陸路の要所である。
孔明の南征以来、唐代の初めに至るまでの約五百年間、
雲南の政治、経済、文化の中心地であった。
三国志で有名な、「孔明七回孟獲を捕らえる」の舞台でもある。

汽車でも行けるが、羅平で懲りているので、バスを利用する。
中国の急発展を象徴するかのような広い広い道路、2時間ほどで曲靖着。



それからが大変だ。
確か中国の国宝?である筈なのに、
「爨宝子碑」と尋ねても殆ど返事らしい返事が返ってこない。
曲靖中学の中にある、と聞いていたが、その曲靖中学も第一、第二、第三とある。
やっと探し当てた曲靖第一中学、構内がだだっ広い。
しこたま訪ね歩いて「爨宝子碑」のある御室の前に立つと硬く鍵が閉ざされている。





がっくりして帰りかけたが、思い止まる。
「この機を逃したら、二度と「爨宝子碑」にお目にかかることも無いだろう、
もう少し粘ろう」

構内を僅かに通る人に尋ねる、何人めかの人が、
「今、お昼休み、2時になると係員が来ると思う」
気が付いたら、お昼時なのだ。





雲南の強い日差しを避けて座り込む。
校舎の壁に中国や世界の偉人の写真が張ってある。
「こういう人を目指しなさい」
と物語っている。

2時が近づくと俄かに構内に学生が溢れ出した。



御室の鍵も開けられ、係員らしき小父さんが掃除を始めた。

中へ入ると、今度は「爨宝子碑」が鎮座してるらしき建物に鍵、
がっちりした閂がぶら下がっている。



小父さんに尋ねると、首を横に振るだけだ。
しつこく尋ねると、
「中学の事務所へ行って」
「何方の所へ行けばいいのですか」
「??先生」
酷く素っ気無い。

「日本から「爨宝子碑」を観に来ました、??先生は?」
「今、会議中です、暫く待ってください」
中国の「暫く」は長い。
待たされた職員室の窓から「爨宝子碑」が鎮座してるらしき建物が垣間見られる。



やがて、まだ30代と思われる男性が現れた、??先生らしい。
??先生が、
「どうぞ」
と先に立つ。
「ガチャリ」と閂が外され扉が開く。

「爨宝子碑」は西暦405年の建立、
日本で言うと「卑弥呼」の時代にそう遠くないのでは。
漢字が楷書から隷書へ移り変わる生き証人?として書道史上の価値が高い。

おもむろに写真を撮ろうとしたら、
「写真は駄目です」
聞こえない振りをして一枚だけ失礼する。
不思議な書体だ。



自由奔放にうねっている様で不思議な調和感がある。
リズムカルで、唄っているようでもある。
素朴、粗野の中に威厳をも感じる。
左右への思い切った撥ね上げに当時の人々の生き様が息吹いているようだ。
どちらかと言えば、
モダン、近代的、抽象的な書を目指す書家に人気が有るのが頷ける。

「この書体は楷書でも隷書でもないですね、何書と言うのですか」
と尋ねると、先生は、
「爨書」
と答えた。

傍らの黒板に二人の日本の著名な書道家の名前が書かれている。
「この先生方は先月お見えになりました」
日本の書道家達にも睡涎の石碑なのだ。

「今日はお待たせして済みませんでした。
来られる時に前もってお電話でも頂ければ良かったのですが」
と渡された名詞には「爨宝子碑」研究家とある。