臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

アモイ  客家 5

客家(はっか)。
元々黄河流域の中原に住んでいた漢民族
古代からの北方の騎馬民族との戦いの度に、
次第に南方へ逃げ延びた難民の子孫なのだ。
難民といっても、由緒正しい衣冠士族達、
れっきとした漢民族の一支系として、誇り高く独特の文化を持っている。
住み着いた場所でも土地の人々と馴染まず、自分たちの文化、習慣を保ち続けた。
新しい土地では「客」「よそもの」扱いされた。
更に、当時は未開地、匪賊や虎とかの野獣も出没した。
身を守るため、一族が一致団結して壮大な城壁を思わせる建物で生活した。
これが土楼だ。

外壁の四方にはいざ戦いのときの銃口となる小さな窓が付いている。
土楼は外敵からの防御のみでなく、通風採光、抗震防火、保温、
隔音隔熱、等々の機能も兼ね備えている。

土楼の形は多種済々で、四角、五角、八角、円形、半月形、D字型、
目字型、方円形等々、30種類以上も有る。
現地で採れる木材、石、砂利のみを用い、
中原から持ち込んだ建築、土木の技術を駆使して造られた。
大きな物は直径が100m、6階建てもあると言う。
当時としては異例の高層建築で3階以上が80%を占めている。


最初の土楼は四階建て四角形の方楼、縦53m、横52m、
1828年建成とある、比較的新しい。



 

方楼に囲まれた中央に祭壇、此処の神仏も素朴極まりない。

 

其の周囲に物置、水浴所、炊事場、豚小屋、井戸もある。

 

 



 







磨り減った木の階段、柱や棟の彫刻、格子窓、
無造作に放置されている時代物の家具、そこに生活する人々、
其の一つ一つに時の流れが刻み込まれている。

華僑には客家出身が多く、流浪の民で商業で身を立てた人が多い為、
「中国のユダヤ人」とも呼ばれてる。
李登輝、鄧小平、も客家出身だ。
各楼の中央に、其の楼から出て名を成した人々の名と写真が誇らしげに飾ってある。