臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

続昆明記 13


大理での大失態

フビライによって攻め落とされるまで、500年間に渡り雲南の中心地として栄えた大理、
8.9世紀頃の地図を見ると、大理国は、ほぼ、日本の同程度の面積がある。
4000m級の山々に囲まれた耳の形をした「ジ(サンズイに耳)海」と言う大湖は大理市の17%を占める。
その4000m級の山々から「ジ海」に落ち込むなだらかな斜面に人々が棲み付いている。
標高2000m弱、夏の平均気温は20度前後、真冬の平均気温が9度前後、まさに別天地だ。
昆明からトイレ付きの豪華バスで5時間、何年か前までは10時間以上か掛かったと聞く。

このバスを降りる時に大失態をやらかした。
ガチャンと大きな音がした時は目の前が暗くなった。
カメラをコンクリート路上へ落としてしまったのだ。
案の定、スイッチを入れてもエラー標示がパチパチと点灯している。
今回は、大理を手始めに、剣川、石鼓、麗江とゆっくり廻るつもりだし、カメラは不可欠だ。

とりあえず、所知ったる日本食堂でビールを飲みながら今後の方策を練る。
使い捨てカメラに頼るしかないだろう。
食堂の小母さんが紹介の宿に荷物を置いて直ぐ街に出る。
直ぐ目の前にカメラ屋があった。 ぶっきら棒な親父が使い捨てカメラを並べる。
中国滞在はまだ一ヶ月近くある、使い捨てカメラでは思うように写真が撮れないだろうし、
いっそのこと、カメラを買ってしまおうか、どうしたものか迷う。

ふっと尋ねてみた。
「カメラ、直せるかなー?」
「直せるよ」
「デジカメだよ?」
「持ってきてみな」
急いで宿にとって返す。
親父は、危なっかしい手付きでデジカメを縦にしたり横にしたりして眺めまわす。
「一時間したら、また、来てみな、直せるかどうか調べるから」

大理古城は古い城壁で囲われ、北門から南門へ南北へ一直線に古い町並みが続く。
その町並みも様相が変わりつつある、道幅も以前の倍位に広がり、所々に新しい
家が増え以前の面影を失いつつある。



文字通り草生した古い瓦屋根を取り除く作業が
あいこちで進行している。



何軒かのカメラ屋を物色する。やはり小型カメラを買う事にしよう、と決める。
一寸、横道に入ると、西洋風の食堂や土産物店が軒を連ねる。





此処の名物は藍染めの絞りだ。
ビールを飲みながら通行人を観察する。
大理は白族のエリア、人口の65%を占める。
民族衣装を纏っているのは大体が中老人だ。







店に戻ると、親父が難しい顔で、
「直るかもしれない」
当然、駄目を予想していたので、半信半疑だ。
それに、あちこち弄られて修理不能にされてしまったら元も子もない。
しかし、落とした時の音の大きさを思い浮かべると、日本へ戻ってからも修理出来ると言う保証はない。
「修理代は幾ら?」
「800元」
今回は現金を余り持参していない、まあ、カードが有るから何とかなるわィ、
「500元でどう?」
結局、
「もし直ったら600元、直らなかったら20元」
で落ち着く。
「明日の夕方まで掛かる」を「明朝9時まで」に納得してもらう。
「今夜は徹夜だ」
と言ったような気がした。

翌朝9時、店に誰も居ない、大きな声を出すと奥のほうから親父が出て来た。
眼を擦りながら、ニコッとして、
「出来たよ」
まさか、と疑う私の面前で、おもむろに鍵の掛かった引出しからカメラを取り出した。
操作してみるとホントに直ってる、思わず親父に抱きついた。
「俺は上海で20年も修行したんだ」
親父も嬉しそうだ、難しい顔がこれ以上なく崩れた。



その後、カメラは順調に動いているが、未だ持って不思議の念が去らない。
雲南の片田舎、それも、普通のカメラ屋の親父がデジカメを直したのだ。