臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

チベット記13 ポタラ宮

いわずと知れたラサの象徴だ。

東西360m、南北300m、高さが115mの宮殿。

その威容がラサを睥睨している。

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建設は7世紀に始まったが、

1600年代、ダライ・ラマ5世の権力化でほぼ完成したとのことだ。

1969年、ダライ・ラマ14世が亡命するまでの300年間、

チベットの政教の中心だった。

部屋数は1000を越えるが見学コースは決められている。

 

建飛の友人、彼等と同郷のモソ人、がポタラ宮にコネが深いらしい。

裏門のような所からポタラの階段を登る。

標高3650mを思い知らされる。

ポタラの頂上は3765m、ほぼ富士山と同じだ。

何回も深呼吸しながら、一番後から付いて行く。

10段も登ると虫の息、心臓音が聞こえるようだ。

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廟内は撮影禁止。

随所随所にお祈りするところがある。

代々のダライ・ラマの霊塔、

即身仏の様な衣装を纏っているが霊像?なのだろうか。

周囲を仏像がずらりと取り囲んでいる。

直径1mもある蝋燭立て、無数の蝋燭が灯っている。

その中に礼拝者たちが蝋?バター蝋かもしれない、

それをスプーンで掬って入れて行く。

そして、

小銭を納めて手を合わせ跪いてお祈りする。

私は、どちらかと言えば、朽ちかけた様な仏像が好きだが、

此処では、彼方此方で仏像を塗りたくっている。

常にキンキラさせているのが此処の流儀なのだろう。

敬虔に祈る人々の方に興味を惹かれる。

仏像を眺める振りをして一心に祈る人を眺めているのだ。

これ程人々が一心に敬虔な祈りを捧げる、その本質は何なのだろう。

一人一人の顔を覗き込む。

喜怒哀楽とは違った顔が其処にある。

トルコ石等々の宝石を散りばめた立体曼荼羅には目を奪われた。

絢爛豪華だ。

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