初秋の奈良 興福寺
国宝館。
興福寺に来たらこれを観なくては収まりがつかない、乾漆八部衆立像。
仏法を守る8神、古代印度の諸神が仏教に帰依し守り神となったとされる。
長い年月を経て各地の風土に溶け合っていろんな形に変身して伝わったらしい。
奈良時代の興福寺にはこの様な形で伝わったのだろう。
幾つか拡大してみよう。
元来は戦闘神であった阿修羅像。
何処にも居そうな左右の悪戯っ子が正面を向くと知性が宿り何かを悟った顔になる。
明治初年、廃仏毀釈の煽りで阿修羅像の腕が何本か折れた状態で放置されていたという。
五部浄、計り知れない眸の深さだ。
迦楼羅像、龍を食べる鳥、悪を食い尽くし家内安全を守る。
乾闥婆像、香を食べ、神々の酒を守るとされる。
沙掲羅像、竜宮の王という。
水の恵を保っているのだろうか。
板彫り12神将、
中国の何処かで同じような製法の像を見たことがある。
絵のような彫刻のような、よく観ると一人一人?ユーモアのあるお顔だ。
乾漆十大弟子像
何かを語り掛け様としている。
慈しみであり、哀れみであり、悟りでもあるのだろう。
現代の我々(少なくも信仰心の薄い私)はこれらの仏像を美の対象、芸術品として観るのだが、
これ等の仏像を造った人々は信仰の対象として造り造らせたのであろう。
しかし、
知らず知らずの内に頭を垂れ手を合わせ祈りを捧げている自分が其処に居る。
人間の自然な営みなのかもしれない。