臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

成都記 9  四姑娘山4

四姑娘山の基地である日隆にはホテルが立ち並ぶ。
清潔で内容も良い。
夜、羊丸焼きの晩餐会に誘われたがそんな元気は無い。
蔵族の銘酒、青裸酒を飲んで満悦だ。

今回、残念だったのは、飲友のOさんにご紹介された
この地区の自然保護区管理局顧問をされておられるOさんにお会いできなかった事だ。

河原のせせらぎはの音は湯ヶ島を思い起こす。


 今日

 

今日は長坪溝と言う四姑娘山の山懐の一つに入り込む。
日隆から喇嘛寺まで車で行って後は夕方まで自由行動。
四姑娘山が次第に近づく。
1987年に同志社大学山岳部によって初登頂された。

喇嘛寺、跡形も無い廃寺だ。
この地方の聖山である四姑娘山を祭ったラマ教の寺だが文革時に破壊されたと言う。
此処からは馬に乗るか徒歩しかない。
馬に乗る人が圧倒的に多い。
馬は距離によって片道50元、100元、150元とある。
安い値段ではない。
もっとも、150元のところまで3時間掛かる。
今回は、四姑娘山を見ながらの散策が目的だ。
迷わず歩き出す。
行ける所まで行こう。





登山道は桟道が見事に整備されている。
と思った瞬間、尻餅をついた。
霜だ。
桟道が霜でキラキラ輝いている。
危うげな足取りで歩き出す。





四姑娘山が次第に大きく迫ってくる。





 





 


 

 

成都記 8  四姑娘山3

車は10分おき位に止まる。

観光ポイントなのだろう。



このあたりの住む蔵族の人々は裕福らしい。
一軒で80匹のヤクを飼っている。
ヤクは貴重な現金収入源なのだ。
ヤクの餌は自生の植物でいいのだそうだ。
要するに餌代不要で放っておいてもお金に成ると言う事だ。







 



 



 



  

 

何の実みだろうか紅色だ。
終点の紅杉林は海抜3845m、富士山よりも高い。
香港から来たらしい少し派手目の女の子がダウンした。
高山病だ、真っ青で泡を吹き出しているようだ。
ガイドが慌しく動く。
急いで帰途のようだ。





成都記 7  四姑娘山2

地元の双橋溝観光車ツアーに参加。
個人で双橋溝に入るのには別料金が必要だがツアー料金に含まれている。
観光車の乗り場はホテルから大分離れている。
単独で来たら大変だ。

 

こんな所に車が入れるのかと思うほど両側に岩が迫り出した狭い谷間に入る。



やがて、狭いと思った谷間が大きく広がる。

 

ガイドはチベット族の男の子。
軽快に話すが殆ど聞き取れない。
チベット族は三族あって二つの族は文字が無いが一つの族は文字を持っている。
何か、伝説のような事を話しているが理解できない。
時々、謎々のような物を出しているようだが私の中国語能力ではこれも判らない。
道路は綺麗の整備されている。

  

四姑娘山が間近に迫る。
今回は「四姑娘山を見るだけでよい」が目標だったので満足この上ない。
同志社大学のパーティーが初登頂以来日本人客が多いとのことだ。
如何にも日本人が好みそうな山だ。









客は約20人。
日本人、白人は居ない。
大きなカメラを担いでいるのも居る。
前回まであまり眼にしなかったデジカメが普通になった。
急激に普及している。



 

段々畑が見える。

 

 

 

 

成都記 6  四姑娘山1

6時半出発。
幾つかホテルを廻って20人乗り位のバスがほぼ満員。

綺麗に整備された高速道を軽快に飛ばす。
都江堤の付近を通る。
パンフレットには、都江堤を遠望、とあったが、
残念、道路工事中で別の道を通ってるとのことだ。
広い谷間に巨大な橋桁が建設中、高速道路らしい。



4,5時間走って、昼食休憩。

 

険しい山道を走ったかと思うと、上高地のような谷間を行く。
雪山がチラホラ覗き出した。

いつの間にか眠ったようだ。
「ウオーッ!」
と言う喚声で眼が覚める。
凄い!
眼前に龍が臥して入るような雪山が連なる。
「これが四姑娘山?」
とガイドに尋ねる。
「いえ、これは龍臥山」
















大河の様に氷河が流れる、豪快だ。

 

更に車は進む、大きくジグザグを描いて、斜めに、又、斜めに、
日光の七曲どころではない。

大きな峠、巴朗峠4523m、を越えると、
仙人が住むような幽厳な山並みが現れた。
これが四姑娘山だ。



成都記 5

成都動物園

「○○の歩き方」によると、
成都動物園には15,6匹のパンダが居て、これは世界中で最多、
ここにしか居ない珍しい動物も多いとの事だ。
動物園は成都駅からバスで2,30分、場所も判り易い。

広い園内をブラブラしていると、
甲高い声で泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
近づいてみると珍しい猿、別名「呼猿」。
口の形をいろいろに変えて、
高音、低音、抑揚をつけて唄っているようでもある。



これだけは見た甲斐があったが、
その他は、普通の動物園だ。
もっとも、動物に詳しくないので見逃しているのかも判らない。

 

 

 

 

 

 


 

 

肝心のパンダはタッタノ二匹、それも遠くの方に居て、期待外れ。
しかし、パンダはパンダだ。






戻って、
四姑娘山方面行きのバスの発着所を探す。
インターネットで調べた「城西汽車駅」が「○○の歩き方」の地図には載っているが、
こちらの市街地図に載っていない。
「○○の歩き方」の地図を頼りに感をつけて探すが見付からない。
人力車の少年に尋ねると知っていると言う。
少年が「此処だ」と示したのは「城西汽車駅」と言うバス停だ。
人力車を降りて近くの人に尋ねる。
何人か人が寄って来たが誰も知らない。
闇が迫る。
ビールが恋しくなる。
再度尋ねた道路掃除の小母さんが親切に教えてくれたがどうも怪しい。

諦めて駅に戻る。
駅の案内所のような処で尋ねる。
「中へ入れ」と言われて中に入ると一枚の紙を差し出された。
何のことは無いツアーの案内書だ、案内所と思ったのが旅行社だった。

直ぐ、腰を上げて暫く歩き出すと、後から女の声、
振り向くと、笑顔の女性がボールペンを差し出した。
さっきの所へ忘れてきたらしい。
その女性の態度、笑顔が気に入った。
いろいろ面倒になったこともあり、
結局、その旅行社のツアーに参加する事に決める。
値段も450元、自分で行くよりも安そうだ。
もっともらしい契約書にサインする。

それにしても女性の笑顔は恐ろしい。
こちらが単細胞なのかもしれない。

成都記 5

三星堆博物館

中国のホテルは何処でもそうだが、
ロビーの真ん中の大きな机を前にデンと座っている人が居る。
大抵がサブマネージャーだ。
男性の場合も女性の場合も有る。
彼に話を持ち掛けると対応が早い。

三星堆までの行き方を尋ねると、
何処から何行きに乗って何処で降りる、時間は約一時間、
親切に教えてくれサインまでしてくれた。
「○○の歩き方」の記載とは異なるがこちらを信用する。

さて、そのバスの乗り場が判らない。
中国で道を尋ねて探し当てるまでが容易ではない。
サブマネージャーが教えてくれた乗り場は城北客運中心駅と言うのが馬鹿広い。
ある人は「あっち」、ある人は「こっち」
数え切れないほどのバスが並んでいる駅の中を歩き廻る。

中国の観光業の問題は此処に有る。
欧州や韓国では、特に韓国が充実しているが、
主だった駅、名所旧跡には必ず○の中に[i]の文字が入った
「インフォーメーション」が有って、宿、名所旧跡、交通等の情報が簡単に得られる。
パンフレットも多いし、懇切丁寧だ。
人口400万、しかも観光都市として名高い成都駅なのにそれらしき物が無い。

やっと乗り場を探し当てる。
市内バス路線と市外バス路線の乗り場が別々になっている。
探し方が悪かったのかもしれない。

約一時間余りで「三星堆博物館」の真ん前に着く。
立派な博物館だ。



何年か前に日本でもここの文物が展示された。
3500年前と推定される古代に、
揚子江流域にも高度な文明があったことが立証され、
現在の世界史の教科書を書き換えなければと騒がれた事を記憶している。

 

神樹、巨大で精巧な青銅器、太陽が宿る樹を模したらしい。
鋳型の大きさを想像して絶句する。

 

奇怪な人物像、仮面の数々。
顔、身体の造形も普通ではない。

 

写真に撮れないが、巨大な青銅物に混じって、
極めて微小な精巧な青銅の装飾物も目を引く。

  

 

頭の上にぽっかりと空いた穴、何かを意味しているのだろうが。
奇怪だ。


 

黄金の面像もあたりを払う。
王の仮面だろうか。





縦目仮面と名づけられて居るが、極端に飛び出したこの仮面の眼も特異だ。
大きく眼を見開いて世界を、世間を、周囲を、人を、物を......見よ、
との警告のようでも有る。



 

どれもこれもが何かを語りかけているようだ。
魂が揺り動かされるようだ。
これらの仮面は何を意味するのだろうか。
異様に飛び出した眼、空洞な頭蓋骨、
何か人類の未来を予告し何かの警告を発しているような気がしてならない。

それにしても、
これらを造る技術は何処の影響を受けているのだろうか。
鋳造技術もさることながら芸術性をも感じる表現技法、
3500年前、蛮地と言われた揚子江上流にこれだけの文明が突然発生したとは思えない。
現在、中国はおろか世界でもこのような形の青銅器は此処だけにしか発見されていない。

これらの遺物は、その内容、規模からして、
極めて財力のある王国の存在を意味している。
中国の歴史にはこの王国の記録は無いと思う。
中国の歴史に疎い私にとっては、尚更、想像を越える王国の存在だ。
まだまだ多くの文明が中国各地に眠っているような気がしてならない。

いずれ解明されるであろうが、謎、謎、謎だ。

成都記 4

青羊宮、

唐代に創建され明代に焼失、現存する建物は清代と言う道教の由緒有るお寺。
その名の由来は道教の始祖、老子が青い羊を連れてここを通ったという故事による





清朝雍正時代に北京から運ばれた二つの銅羊があり、
万病を治すとして多くの参拝者が群がる。

 

八卦亭の八角形の屋根とドーム状の天井は
「天は円く、地は四角」という世界観を表現している。





 この面魂に修験者の厳しさを感じる。
彼はカメラに気付いたが無言で通り過ぎた。

 

さりげないところに歴史、文化を見出す。
彼方此方に龍の彫り物が散在する。


 

福、寿、禄の文字の有る壁の前、
観光客が目を瞑って三度体を回し壁に向かう。
その人が触れた文字が福で有れば将来の幸せが約束される。
寿であれば長寿、禄であればお金持ち、だそうだ。
やはり、福を狙う人が多い。




文殊院

南北朝時代創建の仏教寺院。

 

 

 

無心に祈る若者の姿が不自然ではない。
元々、尼寺だっと言うが尼さん左右する。
四天王、弥勒仏、金剛、阿弥陀仏、観音、文殊、普賢、韋駄天、釈迦、阿南、迦葉等々
貴重な仏像がそれぞれの建物に納まっている。
特に宋代に鋳造された「守護神」という鉄像十体は美術的にも貴重な物だそうだ。
その他、仏教の文物芸術品、ビルマの玉仏、菩提樹の葉に書かれた経典、宋代の刺繍入りの金剛経、
明、清代の絵画、そのほか、鄭板橋や張大千などの著名な書画家の書画もある。
ここには三蔵法師の頭蓋骨が収蔵されているらしい。

成都記