臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

続々昆明記4

街の温泉

冷蔵庫にはビールが冷えている。
度々の昆明訪問の都度、宿を探すのが面倒なので、
部屋は前回から継続して借りてある。
まあまあ、生活には困らない広さ、調度も揃っていて、
一年の部屋代が日本での一ヵ月分位で済む。
ものの5分も歩けば、食堂、市場他あらゆる店が立ち並んでいる。
何よりも自由がある。

今回は3ヶ月の滞在予定、旅行ビザの期限は一ヶ月、
まず、ビザの確保の為に学校へ顔を出す。



彼岸桜が満開、こちらの人はこの桜を桜と呼ぶ。
一ヶ月の授業料を払って二ヶ月のビザ延長を企んだが、
二ヶ月の延長のためには二か月分の授業料が必要になったとか、
せちがらくなったものだ。

3月初めにはSが昆明入りする事になっていて、
彼が来たらどうせ何処かへ出掛ける事になるだろう。
そんな事も考慮して、4月から二か月分の授業料を払い込み、
一応、ビザを確保する。

そのSが仲々顔を見せない、何時かの岳陽の時の様に、
いきなり、のっしのっしとやって来るかも知れないので、
昆明を離れられない。

バスから外を眺めていたら「温泉」の看板が眼に入り、急いで降りる。
「温泉」の前の食堂で鍋を突きながら様子を覗う。



出入りする男女を眺めていると、どうも、
日本で言うヘルスセンター如きものらしい。
恐る恐るドアを開けると、ボーイさんが案内する。



更衣室から先は、
「写真は駄目です」
と窘められた、当然と言えば当然だ。

中へ入ると、直径が5m位の薬草が浮いている浴槽が三つ、
先客が頭から湯気を出している。

風呂から上がると、ボーイが「お二階へ」としきりに誘う。
誘い方がしつこいので敬遠、カウンターで料金を払う、意外に安い。
「ビールを飲みたいのだけど」
と聞くと、二階を指差す。
ビールの誘惑に負けて、ままよと二階へ上がると、
低い立て板で仕切られた沢山のコーナー、
兎に角、ビールに有りつけた。

周囲を見渡すと浴衣?姿の男女が気持よさそうにマッサージを受けている。



怪しげなところでも無さそうだ。
壁に、いろんな種類の按摩、マッサージの料金表が掛かっている、
中国式、タイ式、韓国式、全身、足、背中、耳もある。
成る程、ここはマッサージがメイン、温泉に浸かるだけだと頗る安い訳だ。

と言っても、一番高いので2時間日本円で2000円くらい、
日本に較べればたかが知れている。
と言っても、一般の中国人にとっては贅沢の部類なのだろう、
マッサージを受けているどの腹も膨らんでいる。
比較的お金持ちの出入りする場所のようだ。
足按摩を、と思ったが止めて置いた。

つづく

続々昆明記3 

上海

「上海に着きましたよー」
の声に眼を擦りながらデッキへ出ると、
船は既に揚子江の支流に入っている。
両岸に懐かしい中国の風景、中国の匂い、中国の音も漂ってくる。

 



上海で、娘の友人の友人から昆明行きのチケットを受け取る事になっている。
電話すると、待ち合わせ場所はグランドハイアットホテルのロビー、
55階建てのビルを目指す。
食料を詰め込んだダンボールが重い、やはり、先に送っておくべきだった。
五つ星の豪華ホテルへ、よれよれシャツ、ドタ靴、おまけにダンボール箱を、
抱えて入って行くのは、気が重い。
一寸躊躇するが、チケットを受け取らなければ始まらない。

「お泊りですか」
と荷物を持ってくれたボーイに言葉を濁す。

最上階のロビー、流石に客種も、ちと、違う。
ウェイターやボーイの視線を感じながら、場違いの雰囲気の中で、



一杯1000円のコーヒー、汗が止らない。

彼女の顔を知らない、入ってくる女性一人一人を品定めする。
それらしいのがやって来た。
彼女は真っ直ぐカウンターに向うと、こちらを振り返り颯爽と歩いて来た。
旅先では女性が美しく見えると言うが、魅力的な上海美人だ。



このてとなら、
「一寸、上海で時間をつぶしても良いな」
などと頭の隅をかすめる、が、月並みな話をしながらチケットを渡すと、
「仕事中ですから」
と、そそくさと帰って行ってしまった。
途端に、ドッと疲れが出て来た。
まだ昼下がり、折角上海の真ん中に居るのに動くのも億劫になる。

結局、空港へ直行、半日、時間を持て余す事になる。
そんな時のために持参した「項羽と劉邦」、これが面白い。
一気に上巻を読み終える。

つづく

続々 昆明記2

上海航路

ビール缶を片手にデッキに出る、大阪が次第に小さくなる。



瀬戸内海の島々を眺めるのを楽しみにしていたのだが、
船は真直ぐ南下、四国沖、九州南端をかすめて上海に向う。
視界360度が海、海、その海を見つめる女の子の瞳は清清しく澄んでいる。

 

喫茶の中国美人、日本語はたどたどしいいが、笑顔がなんとも優しい。



船の最前面の二階にある喫茶室からの眺めは快適だ、ビールも安い。
ここは税金が掛からないから飲み物、食事は日本国内の6割位の値段だ。

二週間の日中親善旅行団体の学生さん達とカラオケ、皆、はちきれそうだ。

 

Bさんが日本語の北国の春を歌うと、中国人の一人が中国語でお返し、
だったような気がするが定かではない。
なにしろ、12時乗船と同時に飲み始めたアルコールが切れないのだ。

2,3日、船内をウロウロしていると、
いつの間にか旧知の間柄のような顔見知りが出来る。
その一人、毎回の食事で一緒になる岐阜大に留学中の中国人学生がぼやく、
「同室の日本人学生男女が一晩中イチャイチャしていて全然眠れない、
いまもまだイチャイチャしてるよ、もう、たまらないよ、
日本の学生常識無いね」

国際問題関係の専攻とか、中国、日本の国内情勢は元より、アフガン、
北朝鮮等々世界情勢にも詳しい。
「Kさんもそろそろ限界ね、こっちのKもそう」
話がチベットに飛ぶ。
「中国政府は何故チベットをあんなに苛めるの」
の問いに、
「僕はチベット人が大嫌い、大体の漢民族がそうね、これは理屈ではないよ」
返事をはぐらかされた。
何回かの訪中で周囲の中国人、
特に漢民族の人たちからこんな話は聞いたことが無い。
まだまだ、私の中国での交友の深さが浅いのか、切り口が違うのか。

「船旅も良いけど時間がもったいないヨ、
日本でバイトすれば一日二万円は稼げるもんネ」
彼は、大きな体をゆすって何処へでも入り込んで行く、全く人見知りしない、
むしろ、傍若無人に近い。 まだ20歳代前半だろうが世情にも詳しい。
いずれ中国を背負って立つ、そんな後姿だ。

「さっきイチャイチャしてたのはあの二人だよ」
と彼が顎をしゃくる。 男の子は普通の男の子だが、
女の子は見るからに良家のお嬢さん、身形、衣装も清楚だ。

つづく

続々  昆明記1

新鑑真号

眠れなくなった、雲南が呼んでる。
何時ものバンコク経由チケットが仲々取れない。
以前、Bさんから聞いていた、
「のんびり出来て、食事もまあまあ、気の利いたバーも有るよ」
に惹かれて上海航路、新鑑真号に電話してみると空席が充分有る。
新幹線で大阪、大阪港を昼間の12時に出航して翌々日の朝8時に上海に着く。
上海から昆明は飛行機で3時間、沼津から昆明まで三日を要する。
料金もトータルすると、他のコースに較べて左程変わらない。
が、時間はたっぷりある。
それにしても、沼津から昆明のほぼ中間が上海、中国は広い。

新幹線、地下鉄を迷いながら大阪港へ着くと若人の群れでごった返している。
今回は、何時もの旅行用のキャディバッグの他にダンボールが一箱、
中はラーメン、明太子スパゲッティソース、だし汁、味噌汁、お茶漬け、
沢庵、らっきょ、塩辛、振掛け、焼き海苔、カレールー、漬物、
等々日本の味がぎっしり詰まっている。

船の入れ口でBさんが笑顔でお待ちくださる。
今回は上海まで所知ったるBさんとご一緒だ、心強い。
一等席はせいぜい二人部屋くらいと思っていたら、8人部屋、



でも、
シーズンオフのせいだろう、8人部屋に4人、他の二人はK大の学生さんだ。
二人は、お金が続く限り中国、ベトナム、ラオス、タイまで足を伸ばしたいと、
眼を輝かせている。



時間だけはたっぷり有った不良学生時代、
日本縦断の旅の最後、途中までの切符で東京を目指し、
検札に捕まり郵便車に押し込められた事があった、懐かしい。

仕事の鬼になってお金に少々余裕が出来てくると時間がない。
羽田で万歳三唱などで見送られると、

一刻も早く帰らざるを得なかったのも想い出だ。。

時間もお金もまあまあになると体が言う事を利かなくなる。
兎角この世はままならない。

つづく

成都記 12

紀元前3世紀,戦国時代の秦代に創られた世界最古の灌漑施設、

有名な都江堤の付近を通る、行きも帰りも帰りも素通りだ。



バスが着いたのは城西汽車駅、
4、5日前に散々探したバスの発着所、
しかも、あの少年が案内したあたりの眼に前だ。
あれだけ付近の人に尋ねたのに、キツネにつまれたようだ。

宿に入り預けた荷物を受け取ろうとしたが、
散々待たされ、
「荷物が見付かりません」
との事だ。

とりあえず探してもらう事にして成都の中心街へ出る。
成都へ来たら必ず食べろというマーボ豆腐、

 

意外に高価だが味は期待したほどでもない。
スープが美味しいがこれも高価だ。
その理由は冬虫夏草が一片入っているからだそうだ。
最低でも一片10元近くするとの事、
四姑娘山の帰りに買った冬虫夏草のことを思い出した。
一片5角(0.5元)で買える筈が無らしい。
「ニセモノに違いない」
との事だ。
ニセモノかどうかの調べ方を教えて貰う。



写真の一番上が高級マーボ豆腐店のスープの中に入っていたもの。
二番目が四姑娘山の帰りに買ったもの。
これを暫くお湯に漬けると、
三番目の如く白く変色し、
更に漬けておくと茎の部分と実の部分が分離する。
お見事なニセモノだ。
しかし、手の込んだ事をするものだ。
小麦粉で作った偽者に冬虫夏草の茎に良く似た野草を繋ぎ、
幾日か天日干しするのだそうだ。

中国の四川、雲南、青海などのの三千から四千メートルの高山帯にしか無い珍薬、
万病に効くというお土産の夢が破れた。


ホテルに着くと、やはり、荷物が見付からないとのことだ。
受付の女は、無いものは無い、と言った顔で平然としている。
たいした物は入ってない筈の荷物なので荷物には未練は無いが女の態度にカチンと来た。

「マネージャーを呼んでくれ」
と言うと若い男が出てきた。
サブマネージャーだ。



「荷物は有りません。貴方はどのようにして欲しいですか」
と預かり書を広げた。
預ける時、中身を書き出すように言われたのを思い出した
朝、慌てて出たので中身の確認もせずいい加減に書いてある。
シャツ、セーター、下着、食料、ご丁寧に貴重品なし、と書いてある。

中に、
中日電子辞書、メモリ、三星堆でのお土産を入れたのを思い出した。
「保障させていただきます」
サブマネージャーの態度は真摯だ。
「何も要らない」
と喉まで出掛かった。
「ただ、預かり書に記入してない物は保障できません」
この一言にまたカチンと来た。

記入してある品物の日本円価格を中国元に換算する。
意外な高価に驚いているようだ。
結局、半額を保証してもらい、
お互いに、
荷物が見付かったら送り返す、その時、保障された金額を返金する、
で話がついた。
その後、中日電子辞書の無い旅の不便さを痛感。


帰りの汽車の同室は、
30がらみのスポーツマンタイプの好青年と60歳くらいの大柄な男性。
体格の良い肉の締まったスポーツマン、もしかしたらサッカーの選手、
とみた好青年は昆明医科大学の先生、それも哲学の教師と聞いて驚く。
インド哲学が専門とか、Oさんが居たらさぞかし話が合っただろうに.........
三星堆のお土産を大事に抱えている。
別れ際に名前と電話番号を書いたメモを呉れた。

もう一人の大柄の小父さん、1m90cmは有るだろうか、
兎も角良く食べる。
彼は東北人、ハルピンから昨日成都について、
今日は昆明へ移動、タフだ。
引退してから別の仕事を始めたとの事だ。
時々、ニコニコと話に加わる。

旅はドラマと言うがいろいろな事が起こるものだ。
その時は慌てふためくが、後で考えるといずれたいした事ではない。
いろんな人と出会い別れる。
二度と会わないだろうが思い出は残る。
その思い出も何時しか消えて行く。
旅は人生の縮図だ。


 

成都記 11  四姑娘山6

海抜4523mの巴朗峠に小さな祠がある。
中を覗くと可愛い仏像が微笑んでいる。










海抜4523mは半端ではない、富士山よりも高いのだ。
峠からの下りは豪快だ。 
出会い頭にぶつかったらしい一台のトラックが谷底に転がっている。
カーブミラーは皆無と言っていい、その代わり、しょっちゅう警笛を鳴らす。
勿論、ガードレールも無い。
そんな道を結構なスピードで飛ばすのでハラハラドキドキの連続、
180度に近いカーブを曲がる時は神に祈る。





二時間もそんな道を走り、バスが次に止まったのは紅葉の名所だそうだ。
日本で見事な紅葉に見慣れている私には物足りない紅葉だ。

 

昼食休憩。
粗末な食事、喉に通らない。
米飯をお代わりする人も居る。



近くをブラブラすると、
道の両側に幾つかの人だかりが出来ている。
如何にも少数民族の感じの小母さん達が薬草を売っている。
冬虫夏草が一片一元。
同じツアーの女性が値段交渉をしている。

別の小母さんが私のところへ寄って来た。
如何にも人の良さそうな小母さん、
真っ黒な笑顔から零れる歯が真っ白い。
冬虫夏草は高価と聞いているが相場は判らない。
良いお土産になりそうだ。
半額から始めてみようと、
「一つ5角」
と言ってみた。
ノー、と言わない。
言ってみるものだ。
30本買う。
先に買った女性が文句を言っている。

ガイドに冬虫夏草を見せると、
「ニセモノが多いのよ」
と手にとってしげしげ眺め、
「大丈夫、本物みたい」
お墨付きを貰って良い気分だ。

成都記 10 四姑娘山5

 

 

 

 

二時間ほど歩くと桟道が無くなる。
原始林に入る。
名前を忘れたがこの地方独特の樹だ。
5000m、6000m級の山々を背景に清流、赤や黄色の実をつけた樹木、吊橋も有る。
所々にヤクが顔を出す。

 


 

 



   

上高地を遡っている感じだが売店などは一切無い。
何人か大きなリックを背負った登山が目的らしい若者に行き逢うが、
登山口のような案内板も一切無い。

4時間ほど歩いて下甘海子と言うところに辿り着く。
同じツアーの青年が元気に下りて来た。
彼に尋ねると、
四姑娘山が眼前に広がるところまではあと一時間掛かるらしい。
もう足が言う事を利かなくなりかけている。
膝に持病も有る。
諦めて引き返す。

 

何度も何度も四姑娘山を振り返り見る。
二度と見ることは無いだろう。

 

結局、往復で約7時間歩いた。
この何年かの最高記録だ。
人間、やる気になれば出来るものだとつくづく思う。
といっても、険しさの無い丘歩きのようなものなのだが。
生暖かい酥油茶が馬鹿に美味しい。

観光資源としてはスイスのマッターホルンに近いだろうか。
何年か後にはロープウェイなど出来ているのではないだろうか。
観光開発と自然保護をどうバランスさせるか難しいところだ。

人に引かれて戻ってゆく馬に混じって、一匹二匹独りで戻る馬も居る。
馬が自分自身でトボトボ戻る姿を見て妙に感心する。



思い残す事は無い。
食事ごとに7,8人がテーブルを囲む。
人見知りする上に、私の中国語のレベルでは仲々会話の輪に入れない。
大きなカメラを抱え登山靴を履き如何にも四姑娘山が目的と言う人に混じって、
ネクタイに革靴姿の人も居る。
恐らく成都への出張か何かで来て、一寸、ツアーに参加したのだろう。

突然、中年の中国人の男が私に尋ねる、
「あんた、何処まで行ったの?」
「下甘海子」
「馬で行ったのか?」
「いや、歩いて」
と、彼は親指を突き出した。
「あんたは凄い、立派だ」
と言ってるようだ。

部屋に戻って飲み直す、
青裸酒で祝杯だ。