アモイ 客家7
建屋は4層形式、
中心が祭壇のある儀式の場所、3層は客人用、2層は教場、
一番外側の1層が四階の円楼、一階が炊事場、二階が倉庫、三,四階が住居。
階段を登る、一階毎に別世界に登って行く感じだ。
この落ち着きと安らぎは何処から来るのだろう。
「時間を超える」
と言う言葉はこんな時の為に有るのでは、と悦に入る。
Aのお父さんも伯父さんも唸り声を発する。
現代っ子の代表?のAですらも、しばし、佇んでいる。
この感激は何だろう?
総身傷だらけ、しかし、未だビクともしない骨組み、
原野の中に毅然と、悠然と佇む雄姿への拍手喝采したい感じだ、
長年の大自然との闘いに耐え抜き、いや、
大自然と調和を保ち続けてきた客人達への挽歌だろうか、
数々の人物、人材を世界に送り出してきた事への賛歌だろうか、
コトリともしない静寂の中、耳元で微かな音が聞こえる。
「錯覚かな?」
と耳を澄ます。
前方に広がる水田の稲穂の触れ合い?
裏山に迫る山の音?
建物の間を縫う風の音?
いや、
此処で生きて死んで行った人々の喜怒哀楽の雄叫び?
何かが耳元から離れない。
何百年前と同じ様に、同じ井戸から水を汲み上げ天秤棒を担ぐ女達、
あどけない笑顔の客人の末裔達、
人間の故里を垣間見たのかも知れない。