臨書の世界

古今寄りの名書を臨書する 

ちベット記16 ジョガン(大昭寺)

7世紀後半の吐蕃時代の古寺だ。

当時強大だった吐蕃王国は唐に婚姻を迫り、唐の皇女をむかい入れた。

ジョガンの本尊「釈迦牟尼像」は、

皇女文成公主が641年にチベット王ソンツァン・ガンポに嫁ぐ際に持参してきた、とされる。

早朝からジョガン前の広場には祈りを捧げる人々が屯す。

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門前で例のチベット流の礼拝、五体投地、をする人々。

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みな真摯に祈る。

あたりに敬虔な雰囲気が立ち込める。

 

 

チベット記15 チベット記デプン寺

ラサの西北12km、車で一寸の距離。

ポタラ宮の前まで此処が政教の中心だった。

広大な境内の中央にある大集会堂の前まで車で入り込む。

 

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最盛期には10000人の僧侶でにぎあったという。

 

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お堂の中、

おびただしい四角の長い木柱がそそり立つ。

一尺程の太さ、183本あるそうだ。

柱の先の方が細くなっている。

残念ながら、

ラサのどのお寺もそうだが寺院内は撮影禁止。

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夜、例によって白酒でまず乾杯。

チベットでは鶏肉を食べる習慣は少ないらしく、

豚肉、羊肉、ヤク肉が主食に近い。

肉が食べられない私には食べるものが少ない。

 

肉さへ食べられればチベットの隅々まで彷徨でき、

野垂れ死にするも無いのだが、

悔しいことこの上ない。

チベット記14 ポタラ宮のトイレに慄く

ポタラ宮を詣でる老若男女、チベット全土から集まってくるのだろう。

 

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屋上からのラサ、

四方に山が迫る。

 

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さて、下図は何か判るだろうか。

これがポタラ宮の大小のトイレだ。

これに耐えられる日本人は何人居るだろうか。

 

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ポタラ宮前の広場に下り立つ。

 

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今は10月も終わりに近い。

夏場の最盛期にはこの広場が人々で埋め尽くされるのだそうだ。

ポタラ宮への入場も一日1000人に制限される。

早朝から入場券を買う人の列が出来るそうだ。

当然ながら、此処は世界文化遺産

 

チベット記13 ポタラ宮

いわずと知れたラサの象徴だ。

東西360m、南北300m、高さが115mの宮殿。

その威容がラサを睥睨している。

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建設は7世紀に始まったが、

1600年代、ダライ・ラマ5世の権力化でほぼ完成したとのことだ。

1969年、ダライ・ラマ14世が亡命するまでの300年間、

チベットの政教の中心だった。

部屋数は1000を越えるが見学コースは決められている。

 

建飛の友人、彼等と同郷のモソ人、がポタラ宮にコネが深いらしい。

裏門のような所からポタラの階段を登る。

標高3650mを思い知らされる。

ポタラの頂上は3765m、ほぼ富士山と同じだ。

何回も深呼吸しながら、一番後から付いて行く。

10段も登ると虫の息、心臓音が聞こえるようだ。

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廟内は撮影禁止。

随所随所にお祈りするところがある。

代々のダライ・ラマの霊塔、

即身仏の様な衣装を纏っているが霊像?なのだろうか。

周囲を仏像がずらりと取り囲んでいる。

直径1mもある蝋燭立て、無数の蝋燭が灯っている。

その中に礼拝者たちが蝋?バター蝋かもしれない、

それをスプーンで掬って入れて行く。

そして、

小銭を納めて手を合わせ跪いてお祈りする。

私は、どちらかと言えば、朽ちかけた様な仏像が好きだが、

此処では、彼方此方で仏像を塗りたくっている。

常にキンキラさせているのが此処の流儀なのだろう。

敬虔に祈る人々の方に興味を惹かれる。

仏像を眺める振りをして一心に祈る人を眺めているのだ。

これ程人々が一心に敬虔な祈りを捧げる、その本質は何なのだろう。

一人一人の顔を覗き込む。

喜怒哀楽とは違った顔が其処にある。

トルコ石等々の宝石を散りばめた立体曼荼羅には目を奪われた。

絢爛豪華だ。

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チベット記12 みんな左回りだ

広場はチベット人たちで賑あっている。

人並みが出てくる方向へ進む。

 

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殆どの人が逆の方向へ進んでいる、左周りだ。
お参りしている人達の様だ。
皆、手に手に、何と言うものなのだろう、ぐるぐると回しながら、
ブツブツと念仏を唱えながら一心に歩く。
泥まみれの衣服を纏った人が多い、地方からの参拝者なのだろう。

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人並みに逆らって進むと、さっきの広場に出た。
広場の正面にお寺がある。
これがジョガン(大昭寺)だったのだ。
ジョガンの周囲をぐるりと一周したことになる。
彼等、チベット人たちの参拝の方法なのだろう。

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夜、またまた白酒の乾杯が続く。

チベット記 11 ラサの街は思ったより大きい

緑色の河が流れる。
その河が幾筋にも別れ、また一緒になって河原がだんだん広くなる。
周囲の山には木というものが見られない。
砂と岩の山々から流れ出す土砂が堆積して出来た盆地がラサ、と思う。

ラサの街は想像してたよりも大きい。
ポタラ宮の前を通る。
威容を高々と誇っている。
白酒で改めて乾杯だ。

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窓から眺めるラサは必ず山が視界に入る。

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夕方、散歩に出る。
ポタラの方向へ歩いてつもりが反対へ来てしまった。
最近、方向感覚が鈍ってきた。
方向感だけは人並み以上と誇っていたのに・・
大きな広場に出た。

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チベット記11 いよいよラサへ向かう

いよいよラサへ向かって飛び立つ。

やがて、昨日の梅里雪山(だろうと思う)が見えてくる。

 

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その向こうにこの世を隔てるように、
厳しくそそり立つ雪山の絶壁、

 

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そんな雪山の間間に川があり道がある。
こんなところにも生活が有るのだ。
雲海の上に岩石を置き並べたように、
ニョキニョキと雪山の突端が飛び出す。
そんな風景を眺めているうちに、

 

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飛行機は山と山の間を滑るように降下する。
ラサ空港だ。

建飛の彼が笑顔で出迎える。
建飛から大きな赤いバラの花束を手渡された建蔚が照れいる。

 

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